鬱になった話①

鬱になった話。ちょっとどんよりした内容なので苦手な方は読まないでください。なお、今はだいぶ回復して仕事もしています。

ボクがうつ病と診断され、今に至るまでの経緯をなんとなくここに記しておこうと思う。ボクが鬱でしんどかったとき、同じような体験をした人の文章に支えられていたからだ。

11不調を感じるようになったのは、北海道から上京し東京で暮らしていた時。2019年コロナが流行した。2018年の春に上京して、一年たたず異質な月日に突入した。

その時、著名人の訃報を聞いて知りもしないその人の思いを想像し、気持ちがどんより沈んだ。ボクが上京したのは、俳優として自立したい思いがあったから。その前線で活動する演者がこの世から去っていくのは耐え難い気持ちだった。

また、思うように活動ができなかった。外に出るのは悪とされ、人と会うのも躊躇した。それでも気晴らしにと思ってバイト先の人とBBQにいったら、マルチ商法の勧誘場だったり、なんだか気持ちがどんよりした。

オーディションで誰からも相手されなかったら自分で何か企画しようと思っていたけど、コロナ禍では博打すぎて何にもできなかった。

バイト先は閑古鳥。雇用調整助成金で休みが多くても収入はなんとかなった。だけど退屈な時間は色々と考える時間を与え、あまり良くない気持ちを増幅させていた。

少し鬱っぽい症状があって朝起きるのは辛くて、バイトから帰ってきたらヘトヘトで、それ以上何もできなかった。マスクの下は表情が死に笑顔がうまく作れない。髭は伸ばし、なんだか自堕落な生活をしていた。あの時、テレビ電話してくれた友人がいたり、東京で働く姉と月一で会ってくれたり、それが救いだった。なんとかそれで持っていた。

それでも自宅のロフトの手すりを見ると、そこに紐を括り付ける想像をしてしまう。別に自分がそれをしようと思っていたわけではないが著名人が世を去った方法を想像して自分に当てはめてしまう。

自分が書いた文字、絵がなんだか自分のものじゃなく感じられた。このまま東京のチリとなって消えていくのは嫌だと思った。

ボクが死ぬのはここじゃない。死ぬなら北海道で死にたい。曲がり角で熊に一振り、一撃で楽に死にたい。そう思った。まぁ、冗談めいた気持ちもあるが、どうせ死ぬならここじゃいと思ったのは本当だ。今思えば、あの時からうつ病の兆候があったのだろう。

いざ、北海道に戻ることを考えると、心が軽くなった。何にも解決しないけど、今抱えているモヤモヤはひとまず、東京に置いていけると思った。その時は、コロナが落ち着いたら東京に戻る選択肢も残していたから、とりあえず体制を立て直そうと思い、決意した。

次回に続く

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