本気でゆるく働く方法を考えたい。
そう思う。
理由は簡単で、やりたいことがたくさんあるからです。そして体力がないからです。
(うつ病の治療中。最近は割と安定しているけど、1日8時間週40時間労働はキツい。20時間くらいでヘトヘトになります。)
生活の基盤となる収益はできるだけ時短で、効率的に稼げて、そのほかの時間を自分の創作にあてられたら私は幸せです。
創作には、人並みの収入と、三食食べて、ぐっすり眠れて、暇な時間が必要です。
ほんと暇な時間がないと、創作のアイディアなんか出てこない。
夢物語かもしれませんが、今の自分が目指したい理想です。できることを着実と、時折方向転換しながら歩んでいこうと思います。
俳優で生計をたてることを目指して東京に移住
僕はかつて、俳優で生計をたてることを目指して東京に3年ほど移住しました。でもコロナ禍にぶち当たって、思うように活動できず、北海道に戻ってきました。
行く前に、劇団の座長・鈴木喜三夫さんには「出来うるコネとスネはかじりなさい」と言われました。
理由は簡単。忙殺されて自分の研鑽にあてる時間が確保できないからです。
まぁ、コネもスネもないけど、行きましたさ。
でも、今振り返ってみても「行ってよかった」と思います。
自分にはこの生活は3年が限度だということが、体感として分かったから
バイトしながら活動って大変
東京では生活のためにバイトが必須で、借金せずにやっていこうとすると、ある程度の時間を労働に割かないといけません。
疲れた体に鞭打って、演劇を観て、ワークショップに出て、オーディションに行って——
東京で戦ってる人たちは本当にすごいと思いました。
バイト先で昼も夜も働いて、涼しい顔をしていた先輩。
大林宣彦さんの映画に出演している方もいて、「すんげーな」と思いましたさ。
一方で、自分はコロナで身動きが取れなくなって、日に日に病んでいきました。
そういう挑戦は、自分にはあまり向いていないと気づかされた経験でもあります。
実家が太くて、よっぽど秀でた才能や運がなければ、なかなか難しいんだなとも感じました。
でも、コネも実家も使わずに、今もスクリーンで活躍している北海道出身の知人もいます。
本当にすごいし、尊敬しています。僕が東京に行ったのも、彼の存在があったからです。
その彼が北海道に帰ってきたタイミングで、電車に3時間くらい揺られて会いに行って、
どうやって今の事務所に入って、どんなふうに活動しているのか、根掘り葉掘り聞きました。
芸能事務所履歴書全滅
彼は「百社くらい事務所に履歴書を送って、ほぼ全滅だった。でも一社通って、マネージャーに見染められた」と話していました。
私も何社も送ったけれど、オーディションまで行けたのは数社で、だいたいが「スクール生募集」でした。
面接でまともにこちらを見ず、失礼な対応をされたこともあります。
スクール生とは、お金を払って事務所のスクールに通うこと。
しかも結構な額。内容が曖昧で、本当に技術がつくのか不明で、私にはそのリスクは取れませんでした。
映画美学校にも応募しましたが、落ちました。撃沈。まぁ、ふんだりけったりでした。
唯一の活動は、舞台出演
東京での活動内容は、自主制作映画に出たこと、増澤ノゾムさんの脚本による舞台に出演したことくらい。
それでも、東京で舞台に一つ出演できたのはとても嬉しかったし、大きな経験になりました。
今振り返ると、「もっと研鑽のためにマイズナーメソッドを習いたかったなぁ」とか、いろいろタラレバはありますが、
後悔も含めて「まず行動しなきゃ何も得られなかった」と思うので、行動した自分をちゃんと労いたいと思います。


北海道で活動する決意
今は東京を主戦場にするというより、北海道で地に足をつけて創作活動をしたいと思っています。見たっかたら北海道まで来い!というスタンスで。地方でバラバラにそれぞれが創作しているのってめっちゃ素敵だし、東京集約型から一歩引くっていいなって思えるんですよね。自分は。
心に残ったYouTube
で、最近、ユーチューブでこんな動画を見ました。
パン屋さんをやりたいわけではないけど、自分もこんなふうに、自分の軸を探したいと思いました。絵本も紙芝居も俳優は、はっきりいって収益化させるのは大変です。
だけど、適度に力をぬき、仕事にすることは可能だと思います。絵本なんか、日本全国、全世界を市場にできたら、ニッチな絵本でもそれなりに生業にでてきるわけですし。まぁ、そこに到達するのがムズイのだよ、と思いますが、まぁできることを一つ一つやるのみです。
何にもまとまっていないけど、備忘録としてブログに載せます。
いつかこの記事を懐かしく、優しく、可笑しく見れる日がくる日を願って。バイ。